岸和田祭の起源
岸和田祭に関する最も古い記録は、現在の岸和田城(模擬天守)を設計した建築家・池田谷久吉氏が
収集した史料の一つ、
「当町檀尻之濫觴五町御城入先後之一件書付写」 という古文書に記されています。
「
濫觴」とは「起源」の意で、ダンジリが登場する以前の岸和田祭についても詳しく記されております。
御神灯のはじまり
文書には、それまで牛頭天王社の神事に伴って氏子は神賑行事は行なっていなかったのですが、
城下の町方五町(北町・魚屋町・堺町・本町・南町)の一つ北町の茶屋新右衛門が、
上方の祭礼(大坂三郷の夏祭と思われる)の賑わいを見聞し感動。
町内の者と相談の上、今年からは家々の門前に御神燈を上げたい旨を藩に願い出ました。
これを受けて、延享2年(1745)6月には藩主の許可が下り、家々の軒に亀甲印の提灯が
立てられるようになりました。
同年8月の八幡社の神事に際しては、藩主から大幟4本と紋入りの小幟20本、さらに枠入りの太鼓台を賜りました。
この太鼓台には紅色の投頭巾に采配を持った子供たちが乗り込み、
チョーサヤの掛声を囃しながら
城下・城内を練り廻りました。
このときの太鼓の型式や装束は、現在の大阪天満宮の「天神祭」、生國魂神社の「いくたま夏祭」などで
見ることができる、大坂の夏祭の定番のものでした。
祭のはじまり
「ダンジリ」の初見は、翌年の延享3年(1746)8月。
町方の五町が作り物を載せた軽い引き檀尻を出し、以後、村方と浜方も檀尻を出すようになりました。
この頃の檀尻は現在のダンジリのように様式が統一されたものではなく、
人形などを載せた小型の「引檀尻」や「担檀尻」であり、獅子舞が出る年もありました。
村方・町方・浜方は、「三郷の寄合」を重ね、祭礼に関する様々な取り決めを行いました。
延享2年(1745)、上方の祭の賑やかな様子に感動した北町住人の茶屋新右衛門が
その話を人々にし、町内で相談したところ、六十人賛成し、新右衛門が奉行所に願いでて、
五代岸和田城主岡部長著公が許可し、町中に印付の小幟に二十本と、わくいりの太鼓一つが下げ渡されました。
町では亀甲印の提灯を六十張ととのえ、建木をから傘屋の伊賀谷重次郎に調製させて、
祭の前夜と当日に、この提灯を家々の軒に建てたと云われています。
これが町の人々の祭のはじまりであり、御神灯のはじまりです。
北町地車番付「茶屋新右衛門」(岸和田藩記)
日程
岸城神社例大祭
9月14日午前10時
- 宵宮(宵宮祭献湯式)
献湯式を行い、例大祭の無事執行を祈願します
9月15日午前10時
-
本宮(大祭式)
年中行事中最も重要な神事
年に一度の大祭式で、御本殿の御扉を開け、通常は三方のところを 高坏にてお供え物を捧げ、宮司も正服を着装して神事に臨みます。
大祭式中、宮司祝詞奏上後、雅楽生演奏により御神楽を奉納します。
令和5年岸和田祭(例祭神賑行事)
9月3日(日)
- 14:00〜16:00
- 第一回試験曳き
9月15日(金)
- 14:00〜16:00
- 第二回試験曳き
9月16日(土) 1日目
- 6:00~7:30
- 曳き出し
- 9:30~11:30
- 午前曳行
- 13:00~17:00
- パレード・午後曳行
- 19:00~22:00
- 灯入れ曳行
9月17日(日) 2日目
- 9:00~12:30
- 宮入り
- 13:00~17:00
- 午後曳行
- 19:00~22:00
- 灯入れ曳行
令和5年各町安全祈願日程
7月16日(日)
- 10:00〜
- 岸和田だんじり祭安全祈願祭
場所:浪切神社境内
8月27日(日)
- 9:00〜
- 堺町地車庫開式
9月3日(日)
- 8:00〜
- 南町地車清祓式
- 8:30〜
- 南上町地車清祓式
- 9:00〜
- 北町地車清祓式
9月10日(日)
- 8:30〜
- 紙屋町地車清祓式
- 9:00〜
- 中町地車清祓式
- 9:30〜
- 中之濱町地車清祓式
- 10:00〜
- 大手町地車清祓式
- 10:30〜
- 中北町地車清祓式
- 11:00〜
- 大北町地車清祓式
- 11:30〜
- 本町地車清祓式
- 12:00〜
- 大工町地車清祓式
9月16日(土)
- 3:00〜
- 上町地車清祓式
- 3:45〜
- 五軒屋町地車清祓式
- 4:30〜
- 宮本町地車清祓式