御祭神

天照皇大神あまてらすおおみかみ(元岸和田村産土神)

農耕に関わる太陽神・天照皇大神は、伊勢神宮より勧請され、
現 宮本町、上町、五軒屋町の産土神でした。
寛文六年(1666)には、岸和田城の城郭拡大に伴い、城内「神明門」付近に取り込まれ、
天照太神小社(通称 神明社)と称され親しまれていました。
その後、明治元年(1868)には境内末社として現境内地に遷座され、
平成二十年(2008)の御社殿改築時に天照皇大神が本殿に増祀されました。

素盞嗚尊すさのおのみこと(牛頭天王)

牛頭天王は、平安京で生じた悪霊退散の御霊信仰の中心にあり、素戔嗚尊と同一し、
人口が密集する城下町などの都市部では必須の神様です。
当社の牛頭天王は、岸和田城郭の整備に伴い疫病退散を願って京都の感神院(現 八坂神社)より
勧請された隣地域に祀られていたものとされています。

品陀別命ほんだわけのみこと(八幡大菩薩)

応神天皇一柱、あるいは応神天皇(品陀別命)を主座とし、母の神功皇后、父の仲哀天皇を合わせた三柱のことを
八幡神といいます。武士の棟梁である源氏の氏神となって以降、武神としての性格が強くなりました。
当社へは岸和田庄が石清水八幡宮領となった際に勧請されたものと考えられています。

由緒

岸城神社の境内地は当時の岸和田城主、小出秀政によって
隣邑に鎮座していた牛頭天王と、岸和田城築造以前に当地で祀られていた
天照大神と八幡神が併せられ成立しました。

その後、天照大神は、天照太神小社として別の境内(後の神明門付近)に祀られ、
牛頭天王と八幡神とは同境内に祀られて御宮と呼ばれておりました。
また同境内には宮寺・日光寺が置かれていました。

しかし慶応四年に出された神仏判然令に伴い、宮寺・日光寺は廃寺となり、
牛頭天王社と八幡社を合祀し、岸城神社と改称されました。
この頃、それまで神明門にあった神明社は岸城神社境内へと移され、現在に至ります。